フラグメンタリー勉強法
大げさな見出しでごめんなさい。
『ボッコちゃん』再読中です。
星新一さんのショートショート集『ボッコちゃん』のプレミアムカヴァー2020版を本屋さんで買って読んでいるところです。
本屋さんでぶらぶらしていてたまたま目についたので「なつかしいなあ」と思いました。
星新一さんの本で最初に買ったのは『きまぐれロボット』というショートショート集ですが、もう何年?いやなん十年前のことでしょうか。
それまでは、小説にこんなジャンルがあるなんて知らずにいましたが、書店で表紙が目に飛び込んできたので即買いしました。
とても面白かったので、その後も当時何冊か愛読したと思います。
『ボッコちゃん』の奥付を見てびっくり。
昭和46年5月25日 発行
令和2年7月30日 120刷
ということは初版から50年であり、120刷とは!
ちなみに、本作は『人造美人』『ようこそ地球さん』の中から星さんが19編を選び、それにほかの短編集に収録の作品を加えて50篇にまとめた自洗短編集とのことです。
「風雪に耐え」なんて言葉がありますが、よくぞ50年絶えもせず版を重ね重ねたものです。
まさに「古典」です。
これもこれでなつかしいお名前です。当時のまんまで。
読み始めたところですが、今から少しずつ、楽しみながら読んでいきます。
アナログレコード盤のホコリ対策について
これが最近わたしが思いついたアナログレコード盤のホコリ対策です。わたしの独創ではないかもしれませんがご紹介します。
見てのとおり、カートリッジの頭に白いシートが貼られていてちょっとカッコ悪いし、見た目変なのですが、これが結構効果ありなのです。
今回のコロナ渦中のある日のことです。袋から出した使い捨てマスクの中に耳ひもが外れたものがありました。たまにあることですが、製造不良でしょうね。
それで思いついたのが、これを適当な大きさにカットしてカートリッジの頭に貼り付けたら、ほうきがちりを集めるように埃が取れるのではないかと思ったのです。
というわけで、白いシート実はマスクの素材で、両面テープでくっついています。適当なしなりと硬さがあり捕らえた埃は逃がしません。
効用は、埃が除かれることで気になるパチパチ音がなくなること以外にもあるようなのです。それは、音質の向上です。わたしの仮説なのですが、カートリッジ周りの微細な振動による雑音成分が少しはこのシートに吸収されるのではないか。
以上は個人的な意見です。シートの素材によってはレコード盤に悪い影響があるかもしれませんし、針圧やプラッターの回転に影響する可能性もあります。
演奏中にシートが外れるとカートリッジを損傷する可能性も考えられます。実施にあたっては自己責任でお願いします。
フリードリヒ・フーケ 『水の精(ウンディーネ)』を読んで
フーケまたはフケーは、ドイツ(プロイセン王国)の作家で、1811年に発表された本作が代表作といわれています。くくりとしては、ドイツ初期ロマン主義の作家、詩人です。
『ウンディーネ』は物語のヒロインの名前であり、『水の精』はその出自によります。水の精霊ウンディーネと騎士フルトブラントとの恋愛とその結末を描く、小説というよりは、ファンタジーと呼びたいと思います。
現実を超越した世界をヒロインが行き来するものですから、読み手によっては荒唐無稽と感じてこの世界にはいることに違和感を感じるかもしれません。
不肖、私が先日読み出した『くるみ割り人形とねずみの王様』は残念ながら途中で投げ出してしまいました。E.T.Aホフマン作の小説(物語)でチャイコフスキーのバレエや映画の原作ですね。
このファンタジーあるいは童話には感情移入ができませんでしたが、これはひとえにわたしの世俗の垢にまみれた属人的な要因であり、作品の価値には全く関係ないことです。
さて、ヒロインのウンディーネは先ほども述べましたとおり、異界とこちら側をゆききするのですが、このような物語の「お約束」で大変な美人なのです。
美人と言われて想像の翼を拡げたり、鼻の下を伸ばしたり?することは楽しいものです。
大抵は自分が過去に見た画像や映像または、個人的な経験知のアーカイブファイルをもとに好きなようにイメージを作っているのですが。それが読む気満々へと導きます。
これが読み物でなく、映画などの場合は所与として固定されるので、いい時と悪い時があります。女優が自分の好みかどうか、これによって印象が左右される大きな要因です。
こんなに特化したことを書いているのは、わたしが男性だからです。しかし、ヒロインと相思相愛となる重要な役柄の男性は、白馬にまたがってヒロインの前にあらわれた騎士です。
これまたお約束通り大変な美丈夫と書いてありますから、女性の読者も大いに想像の翼をひろげて楽しんでくだされば良いと思います。
物語の詳細は他に譲りますが、必ずしもハッピーエンドではないと記します。とはいえ、読後感が残念かと問われれば、いいえと答えます。
理性と常識の文脈では感得することのできない、甘くも切なくも大いなる魅力に浸ることができるからなのです。
ウンディーヌとフルトブラント
水の妖精と白馬の騎士
夢とうつつ
生と死
このファンタジーは、ゲーテから称賛を得たことをはじめ、世に多くのインスピレーション、影響を与えて、絵画、音楽、舞台などを生み出す豊かな源泉となりました。
スミシーとポーラ、『心の旅路』を観て
これも撮りためた映画の一本。
日本での公開が1947年というから、終戦後間もないころの映画です。自分もまだ生まれていません。
原作は『チップス先生さようなら』のジェームズ・ヒルトン作の小説。
こんな昔の映画はあまり観たことがないし、モノクロなので途中で観るのをやめるかなと思い、正直あまり期待をしていませんでした。
けれどもその予想は良い方に外れました。観終わった映画なのに、毎日のように良いシーンをその後何度も繰り返し観ているのです。
観るたびに感動がよみがえります。特にラストシーンは見るたびに胸がいっぱいになって、ほろっと涙してしまう体です。
戦闘による神経性のショックでそれまでの記憶をなくして、リバプール郊外の病院に収容された男が病院から逃げ出します。男は仮の名前でスミスと呼ばれていました。
彷徨っているところを、踊り子で芸名をポーラという女性と出会い保護されて、療養のため田舎町へ逃避行します。しかしスミスの記憶はもどりません。
やがて二人は互いを、スミシー、ポーラと呼び合い、その地で結ばれて幸せな家庭を築いていきますが、3年たったある日転機が訪れお互い離れ離れになってしまうのです。
スミシーが事故に遭って、今度は戦前の記憶が蘇った代わりに、最近3年間の記憶をなくしてしまいます。
(記憶をそんなふうになくしたり、蘇ることなんてあるの?と突っ込みたくなるが、それが映画というものでしょう)
スミシーは、その後裕福な実家に戻り順風満帆の人生を歩み、ポーラは苦労して男を探します。
やがて意外な方法で、ポーラはスミスと再会し、前とは違う立場で身近で過ごすことになるのですが、スミシーはポーラを目の前にしても全く思い出しません。
ここからポーラの苦悩が始まります。
外的な刺激ではなく、内的な刺激でなければ喪失した記憶は戻らないと医師からアドバイスを受けていたポーラ。無力な自分、でもスミシーへの想いは募る一方です。
しかし、運命の女神が微笑みます。あることがきっかけで、次第にスミシーは記憶を手繰り寄せていき、そして結局、離れてから十年以上をかけて二人は思い出深い場所で本当の再会を果たしたのです、とうとう。
「スミシー!オー、ダーリン」「ポーラ!」懐かしい名前でお互いを呼び合い、抱き合う。あとは言葉にならず、ただ、小さな家と庭と桜の花が二人を優しく見守っている……
ちなみに、この映画は同じように当時イギリスで制作されたアメリカ映画のひとつらしいです。
当時の映画事情に疎いのでよくわかりませんが、主演のロナルド・コールマンと、グリア・ガースンは、当時人気があったとのことでなるほど演技も光っています。
記事の訂正とお詫びについて
日ごろは、拙文をお読みいただき感謝いたします。
さて、昨日の記事「松浦弥太郎『おとなのまんなか』を読んで」の中で、松浦さんのお名前を2カ所間違っていたことに気づきました。
ご本人に対して大変失礼をいたしましたことと、記事をお読みいただいた読者の方々に混乱を招いてしまったこととあわせ深くお詫び申し上げます。
本文の方は訂正させていただきましたが、今後このようなことのないように注意してまいります。この場をお借りして訂正とお詫びを申し上げました。