にっきにゃっき日記

あまり決めずにいろいろ書いています。気が向いたら覗いてください。うれしいです。

贈る言葉 贈られる言葉

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きょうは、何を書きましょうか。
小学校の卒業のころの話です。


今はどうかわかりませんが、当時担任の先生から卒業生に贈る言葉というのがよくはやりました。私の担任の先生は、皆にそれぞれの性質・性格に合った格言を贈ってくださいました。


『思う念力岩をも通す』
これがわたしがいただいた言葉です。


長い間、この言葉が自分に合っているのか疑問でした。当時読んだ小説に、菊池寛の『恩讐の彼方に』がありました。
ご存じの方もおありかとおもいます。何十年もの間、村びとのために洞窟を一人で掘り続ける年老いた男。その彼を敵討ち(かたきうち)の相手と知った若者。その邂逅とてん末の運命の物語です。


念力→恩讐、岩→洞窟の語意の近似や、人の思いの深さと、継続というテーマの類似からこの小説をすぐに連想しました。


しかし、小説の人物像が自分のそれとどうしてもかけ離れて感じられました。敵討ちなどとうの昔の慣習だ、洞窟を掘るのにもっと楽な方法があるはずだ、などと。
いつのまにか、先生の意図から離れて、疑問視の対象が格言から小説の内容の方に移っていくのでした。


そんなあるとき。待てよ、先生の意図は違つたのかもしれない⁈ 贈られた言葉は、お前に足りないのはコレだよ、ということなのかも、はたと気付いたのです。


それならしっくりする。今でも思い当たる節がありますが、当時からうすうす自分でも「意思薄弱」と気づいていたのです。ヒトの意見に流される、自分の考えが持てない、何事につけ長続きしない、熱しやすく冷めやすい、自信がない、、、


わたし自身当時からかなり地味な性格、引っ込み思案、目立ちにくい生徒だったと思います。そんな生徒についても見るところは見ておられたのでしょうが、50人近い生徒一人ひとりに対して似合う格言を探すのはご苦労があったことでしょう。頭が下がります。


思えば、3組のわたしは先生思いの生徒ではありませんでした。当時先生はすでに初老(おじさん)になっておられたので、1組のおとこ先生は若うてかっこええなぁ、2組のおんな先生はきれいやなぁ、4組のおんな先生はやさしそうやなぁ、5組のおとこ先生はおもしろそうやなぁとか、他のクラスの先生にばかり憧れてましたから。


卒業以来お会いしていませんが、もしお会いできる機会があれば、かつての教え子の疑問を先生に確かめさせていただきたいと思います。あの鼻向けの言葉は、わたしという人間を評価されてのことだったのか、欠点をただしてしっかり生きよということだったのか、、、


でも、謎は謎のままで良いのかもしれません。ものごとは良い方に解釈した方が良いとも言われます。そして、人は変わっていくものです。古いことにこだわり続けることはたいてい良い結果を産まないものです。


自分で自分に贈るとしたら、どんな言葉がいいだろうと考えたとき、いつかテレビドラマで聞いてこころ震えた、こんな言葉を思いだしました。


『本日、誕生!』